毎年、ノーベル賞発表の季節になると日本人で名前が挙がる村上春樹さん。
ところが、この村上春樹さんよりもノーベル文学賞に近いとされる日本人の小説家がいます。それが多和田葉子さんです。
現在は、ドイツのベルリンに暮らしながら執筆活動をつづける多和田さん。いわゆる流行作家ではないので、日本では知る人ぞ知る、という存在ですが、ドイツではすでに20冊以上も著作が出版され、ほかにもヨーロッパを中心にした各国でその翻訳が出版されるなど、世界的に高い評価を得ている方です。
そんな多和田葉子さんの経歴・プロフィールをあらためてご紹介したいと思います。
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小説家・多和田葉子のプロフィール・学歴を紹介!
旅のエッセイ、今週は多和田葉子さんがバンコクを訪ねます。 幽霊が苦手だというタイ人のAさんと行った幽霊寺、そして一般人も買うことができる大きなブックフェアで多和田さんが見たものとは。#バンコク #タイ #多和田葉子 #幽霊 #ブックフェア #nikkeithestyle pic.twitter.com/mFkWDxuBtn
— NIKKEI The STYLE (@NIKKEITheSTYLE) October 5, 2019
まずは簡単にプロフィールをご紹介します。
多和田葉子のプロフィール
名前:多和田葉子(たわだようこ)
生年月日:1960年3月23日
国籍:日本(2000年ドイツ永住権を取得)
出身地:東京都中野区
出身校:都立立川高等学校ー早稲田大学第一文学部ロシア文学科ーハンブルク大学大学院修士課程修了ーチューリッヒ大学大学院博士課程修了
受賞歴:
群像新人文学賞『かかとを失くして』(1991)
芥川龍之介賞『犬婿入り』(1993)
泉鏡花文学賞『ヒナギクのお茶の場合』(2000)
谷崎潤一郎賞『容疑者の夜行列車』(2003)ほか
デビューはドイツでの出版
早稲田大学を卒業してほどなく、1982年にロシア・モスクワを経て当時の西ドイツに渡り、ハンブルクの書籍関連会社での勤務、ハンブルク大学大学院に学ぶなど、早くからドイツ語文化の中に暮らし、日本語・ドイツ語の二言語で執筆活動をしてきました。
最初のデビューはなんとドイツで。1987年に詩集を出版。初めは日本語からの翻訳、やがてドイツ語で執筆するようになったといいます。
芥川賞をはじめ、日本そして世界で数々の賞を受賞
プロフィールにあるように小説家の登竜門である「群像新人賞」「芥川賞」を受賞して日本でも文壇入りし、さらに1996年には、ドイツ語を母語としないドイツ拠点の外国人作家に贈られる「シャミッソー賞」を受賞、2005年には権威ある「ゲーテ・メダル」を授与されるなど、日独双方で評価されている貴重な作家です。
2006年からはベルリンに在住。2016年に優れたドイツ語で書かれた文学に贈られる「クライスト賞」、2018年には米国で最も権威ある文学賞のひとつと称される「全米図書賞」第62回翻訳書部門を受賞。世界的な評価が高まり、近年は日本人でもっともノーベル文学賞に近い作家として注目されています。
小説家・多和田葉子の魅力はどこに?
日本の大学を卒業してすぐにドイツに渡り、そこで日独二言語のバイリンガルで小説を書き始めたという道を歩んできた多和田葉子さん。
複数の言語を「話す」バイリンガルは数多くいますが、「書く」こと、しかも文学という領域でそれをするのは並大抵のことではありません。
その希有なキャリアと、いまも日常的に世界を渡り歩く仕事をしている経験から生まれた「移動」そしてそれに伴う国や言語の「越境」が多和田葉子さんの文学における魅力になっているといわれています。
多言語の世界から見た日本語の豊かさ
言葉や文化圏に縛られずに創作をする・・・。そのチャレンジの中で気づきを得た日本語の豊かさ、新しい日本語の可能性を引き出しているという評価もあります。
たとえば、海外に輸出されることで本来の意味から離れた使われていくようになった日本語の言葉たち。それを批判するのではなく、あえて面白がって受け入れることで見えてくる新しい切り口や言葉の輝き、可能性。そんな言葉の「越境」も作品の端々に現れます。
言語を超えたコトバの連想が描く空想世界
多和田文学の魅力をもう一つは、ともすれば重くなりがちなテーマの作品でも、その中にある種のユーモアや言葉遊びが散りばめられていること。
2014年の作品『献灯使』の中では、近未来の日本で外来語が使えなくなって、ジョギングを「駆け落ち」(駆けると血圧が落ちるから)と呼ぶようになったり、インターネットがなくなった祝日が「御婦裸淫(オフライン)の日」になった、という話題も。そんなくすっと笑ってしまうようなダジャレのような表現もそこかしこに見られます。
これまでの人間の歴史では、弾圧の厳しい世の中でこそ、庶民たちや文学者たちが言葉遊びを使った風刺などの表現でその追い詰められた状況に適応していく、ということがありました。多和田さん本人も〈言葉遊びこそ、追い詰められた者、迫害された者が積極的につかむ表現の可能性なのだ〉と書いています。
言葉が人間にとってどういった意味あいを持つのか。それを新しい視点で感じさせるものでもあります。
言語の観点から現代社会を映しだす洞察力
同じように移民や人権、あるいは情報に縛られ、あるいは操作される現代社会の問題にも、文学という形で切り込んでいます。
いまグローバル化が進む世界の中で、国籍、性別、文化の違う人々が当たり前のように交流する時代になっています。それと同時に、その「違い」がかえってこの時代に浮き彫りになっているという現実も。「コスモポリタニズム(世界市民主義)」の理想も追いながらも、こうした壁を描き、また近未来にあるかもしれない「情報鎖国」への危機も描きます。
震災後の日本のいま、または行く末を暗示するような『献灯使』はまさにこの現代社会を「ディストピア(ユートピアの対語)」的に描いたものとして注目されました。
国境を越えて言葉を駆使した表現、そして現代社会を映す力。多和田葉子さんの挑戦がまた大きく評価されることになるのか、ノーベル賞の結果が気になります。
最後までご覧いただきありがとうございました。