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板東英二の高校野球記録が凄い!星陵・奥川を超える歴代奪三振伝説!

Wokandapix / Pixabay

 

板東英二さんといえば、多くの人には「世界・ふしぎ発見」などのバラエティ番組やドラマに出てくるタレント、というイメージが強いですが、実はかつては剛腕の高校球児、そして中日ドラゴンズの投手だったということはあまり知られていないかもしれません。

とりわけ高校時代の記録はすごいものがありました。

今回は『板東英二の高校野球記録が凄い!星陵・奥川を超える歴代奪三振伝説!』と題して、2019年夏の甲子園で話題になった星陵高校の奥川投手に並ぶ注目度を誇った「板東英二」さんの知られざる高校野球時代をご紹介します。

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星陵・奥川を超える板東英二の歴史的記録!

板東英二さんは1940年生まれ。当時の満州国(今の中国黒竜江省)で誕生しました。

日本に引き揚げ、帰国してバレーボールをしていた彼は、中学2年のときに野球部に誘われます。最初はショートを、そして3年に進級すると投手となって、なんと61連勝を記録したそうです。

中学を出たら集団就職する予定だったといいます。けれど学校の先生になる夢も持っていて、「野球だったら高校に行ける」と徳島商業のスカウトを受けたのだそうです。

 中学生のとき、学校に野球道具が送られてきました。初めてグローブをはめて、ボールを投げてみたけど、まあまあ上手にできたみたいです。体力もあったし、すぐにピッチャーをやることになりました。野球でスカウトされて徳島商業に入ることになった。進学できたことで、諦めていた先生になる夢が、可能性としては残りました。

ただ、入ってみると練習練習で、勉強どころではありません。授業中も寝てばかりです。監督やコーチの言うことには絶対服従で、とにかくどつかれまくりました。 こんな理不尽なことはないと、何度か退部届を出しにいきましたが、ぜんぜん聞き入れてもらえませんでした。しょうがなく猛練習してたら、運よく甲子園に出られました。(AERAインタビューより)

とても偉業をなしとげた投手の言葉とは思えませんが、ともかく1958年第40回全国高等学校野球選手権大会に出場、そこで歴史的な記録を残すのです。

板東英二が高校野球の歴史に刻んだ偉業

初戦からすべての試合で投げてきた坂東さん。秋田商業の試合は17奪三振。福岡の八女高校とは15奪三振で勝利し、準々決勝へ

準々決勝は富山県立魚津高校が相手でしたが、そこで

延長18回登板 25奪三振 

の偉業を成し遂げるのです。相手の先発・村椿投手も18回を投げ抜き、0対0で再試合にもつれこみます。

再試合は痛み止めを打って登板。9奪三振で完投勝利。さらに準決勝では作新学院に勝利、決勝では山口の柳井高校に敗れますが、大会を通じてなんと

83奪三振!

この記録はいまだ破られていません。

しかしこれが「ネタ」かどうかわかりませんが、坂東さんはこう語っています。

再試合と準決勝は勝ったけど、決勝はもう肩が限界で、柳井高校に7対0で負けました。奪三振の記録は、人が言ってくれるほど特別な思い入れはありません。なんせ1試合で15以上の三振を取らないとコーチにどつかれるから、本能的に投げてただけなんですよ。

少しおどけた言い方をしていますが、才能と努力とふんばりは人一倍だったのだと思います。

2019年星陵・奥川投手は凄い

板東英二が投げた61年後。2019年夏の甲子園。

星陵の奥川投手の試合も、まさしく死闘でした。延長11回にふくらはぎをつりながらも、延長14回に味方の本塁打でサヨナラ勝ち。3安打1失点23奪三振はまさしく「偉業」です。

最後は集中と疲れで何も聞こえない「ゾーン」という状態になったといいますが、なんという過酷なスポーツでしょう。それを乗り切った勝利は素晴らしいですね。

おわりに

ということで、星陵高校の奥川投手の偉業で、あらためて注目された板東英二さんの知られざる大記録についてご紹介しました。

いつの時代も「ドラマ」を生みだす高校野球。

それにしても、あの板東英二さんの記録が未だに破られない記録だったとは意外でした。

またさらなるドラマと歴史的瞬間を目撃したいですね。

最後までご覧いただきありがとうございました!