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シラク元仏大統領はどれほど親日家だった?10のエピソードで紹介!

フランスの大統領を2期、12年にわたって務めたジャック・シラク氏が2019年9月26日に亡くなりました。86歳でした。

シラク元大統領といえば、日仏どちらでも「親日家」「知日家」として知られています。逆にいえば、シラク氏以外に親日家のフランス大統領はいません。(もちろん資本主義経済や文化交流のパートナーとしては重要視されていますが)

そんなシラク元大統領がどれほど日本を好きだったかを表す出来事はたくさん残されていますが、その中から10のエピソードをご紹介したいと思います。

Contents

シラク・フランス元大統領の親日10のエピソード

来日回数は46回とも

これほど日本を訪れた外国政治家は少なくとも欧米にはいないでしょう。その回数は46回とも、いや50回だとも言われています。

後述する相撲の観戦や京都や東京ばかりでなく、芭蕉を偲んだ東北への旅行など、全国をまわりました。

土偶と埴輪の区別がつくほど

芸術品とりわけ、素朴な芸術を愛したシラク元大統領は、日本の陶芸や伝統工芸のファン。土偶や埴輪を好み、弥生文化よりもそれ以前に東北地方に花開いていたという縄文文化に深い興味をもっていたといいます。

来日の時に、首相官邸に展示してあった「土偶(どぐう)」を「埴輪(はにわ)」と説明した通訳をたしなめたというエピソードも残されています。

万葉集と奥の細道を愛読

日本の古典も読んでいたというシラク元大統領。万葉集松尾芭蕉の『奥の細道』も愛読したといわれています。

シラク大統領当時の橋本首相との会話で「芭蕉が亡くなって今年は何年か」と話し始め、「没後400年だというのに知らない日本人が多くて残念だ」と話したとか。

橋本龍太郎首相は「いや日本人で芭蕉を偲び、芭蕉が歩いた路を旅する人もかなりの数います」と答えると、シラク氏も橋本氏に興味を持ち、江戸式相撲の話題で盛り上がったといわれます。

1ヶ月のバカンスを日本で過ごす

シラク氏が大統領に就任したのは1995年5月。その一年前、つまり大統領選挙への戦いが本格化する前に、シラク氏はもう長い休みはとれないだろうと、パリ市長であった時代に一ヶ月のバカンスをとり、夫人とともに日本に滞在しました。

このときには、奥の細道の史跡を巡るなど、ゆっくりとした時間を過ごしたとか。

大相撲好きでフランス共和国大統領杯を創設

シラク氏といえば、知られているのが大相撲好きであること。

来日時に限らず、つねに相撲中継をフランスで観ていたというシラク氏。大統領府でも大相撲の成績をほぼリアルタイムで把握していたというので、日本の政治家よりも詳しかったといえるかもしれません。

東京に赴任したフランスの外交官には特命任務があり、大相撲が開催されているときには相撲が終了すると、中入り後の全ての取り組みをエリゼ宮(大統領府)にFAXしていたといいます。しかも決まり手を添えて、だとか。かなりのものです。

1999年には、フランスを訪問した小渕恵三首相が、横綱貴乃花が明治神宮に奉納した「綱」と軍配をシラク氏に贈り「これほどうれしかったことはない」と語ったといいます。

大統領時代に「フランス共和国大統領杯」を創設して、現在も「日仏友好杯」として継承。自らも優勝力士に杯を授けたことがあります。

パリ市長時代に大相撲パリ公演を招聘

シラク氏はフランス大統領就任前にパリ市長を務めていましたが、その時代にパリで大相撲を開催したいと招聘し、1995年大統領になって実際に大相撲の「パリ公演」を開催しました。

愛犬の名前は「スモウ」

大相撲をこよなく愛したシラク氏の愛犬「スモウ」ちゃんはこちらです。

(以下のエピソードは、現在更新中です)

アメリカ横断ウルトラクイズのパリ決勝を招致

かつて大人気の番組だった日本テレビの『アメリカ横断ウルトラクイズ』。1985年の第9回は、当時パリ市長だったシラク氏の招致ということで決勝がパリで開催されました。

鎌倉時代の元寇を防いだ防塁を見たがった男

これはかなり話がシブいですが、大統領だった当時、日本で沖縄サミットが行われたのを憶えているかたもあるかもしれません。

実は最初、福岡もサミット開催地に名乗りを挙げていたのですが、この招致の最中にシラク氏が「もし福岡なら、元寇の防塁を見たい」と発言したらしいのです。

鎌倉時代に、世界を征服する勢いだった元(モンゴル)の蒙古軍の襲来を防いだ防塁に興味があったというのです。

先述した橋本龍太郎首相との会談でも「蒙古襲来」の話題が出たそうで、このあたりの歴史にはかなり精通していたといわれます。

結局、福岡にサミットはきませんでしたが、これをきっかけに防塁の復元がなされたともいわれています。

日本の国連安保理事会常任理事国入りを支持

国連の安全保障理事会には現在5つの常任理事国(アメリカ、イギリス、ロシア、フランス、中国)があり、これを拡大するかどうか、という議論が昔からあります。

日本も一時期積極的にこの拡大版常任理事国への参加を目指していましたが、2005年頃にこの話題が本格的になったときに、シラク元大統領は日本の常任理事国入りを全面的に支持していて、常任理事国であるフランス共和国としてもこれを支持していました。

この支持は、当時シラク元大統領が進めてきた、EUから中国への武器輸出禁輸解除について日本の理解を得るため、という噂もありますが・・・

おわりに

ここまでフランスの元大統領、元パリ市長でもあったジャック・シラク氏の親日ぶりについて10のエピソードでご紹介してきました。

なによりも46回以上ともいわれる来日数がその親日ぶりを象徴しています。彼のあと大統領についたニコラ・サルコジ大統領は相撲嫌いで中国好きと言われ、相撲に至っては「ポニーテールの男同士が戦うことがなぜ魅力的なのか。インテリのスポーツではない」と一刀両断。シラク氏との差が鮮明になりましたが、とくに嫌日派というわけではなかったと思います。シラク氏が特別なのです。

1995年から2007年まで、世紀をまたいで12年も大統領、その前には18年もパリ市長を務め、国民や外国首脳からも愛されたジャック・シラク氏の逝去。変わっていく時代を感じざるをえません。

最後までご覧いただきありがとうございました。