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竹内太一(土佐料理司社長)の年収や収入は?経歴や出身大学も紹介!

6月6日放映の「カンブリア宮殿」に高知・大阪で「土佐料理 司」を経営、そして東京都内に5店舗を展開する「祢保希(ねぼけ)」を持つ竹内太一さんが紹介されました。

地方色豊かなニッポンの美味を届ける郷土料理店の中でも「祢保希(ねぼけ)」は、注目の存在。私も行ったことがありますが、そのバリエーションといい、他では味わえないメニューといい、驚きとおいしさで感動したのを覚えています。

番組の中で「サバイバル経営」と呼ばれる企業との提携や地元高知の活性化に奔走する竹内太一さんの年収・収入はどのくらいになるのか。そして会社をここまでの存在に高めた社長の経歴についても調べてみました。

最後までぜひご覧ください!

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「司」「祢保希(ねぼけ)」を経営する竹内太一の会社情報

竹内太一さんが経営する「土佐料理 司」「祢保希」の母体となる企業はこちらです。

会社名:株式会社 土佐料理司(旧 株式会社加寿翁コーポレーション)
資本金:3000万円
従業員数:330名(正社員はうち110名
売上高:26億円(2016年)
代表者:竹内太一
高知本店(土佐料理 司)高知県高知市はりまや町1-2-15

2019年6月現在東京都内では「祢保希(ねぼけ)」を5店舗展開、そのほかに高知地区・大阪地区で「司」を4店舗、「酔鯨亭」ブランドを2店舗、「ごはん処司」など全部で12ヶ所の店舗を経営しています。

私も「ヒカリエができる前」に、そこにあった(渋谷宮益坂(裏))『祢保希』で、鰹のたたきを食べたことがありますが、今までたべていた鰹のたたきとは別物!で、ニンニクスライスと一緒に食べると更に絶品!で感動した記憶が蘇りました。

渋谷宮益坂店はヒカリエができて、立ち退いてしまいましたが、土佐料理「司」の通販として『鰹のたたき』は取り寄せできます。
一度ご賞味あれ!

 

 

創業は1917年(大正16年)。会社としての設立は1963年(昭和38年)です。「食の世界の龍馬でありたい」という土佐人らしい気概のもと明日の日本や社会、会社を考える人々とつながりあえる存在になりたいと竹内社長は語ります。

土佐料理 司 竹内太一社長の気になる年収は?

さてこれだけ注目される経営者となると年収が気になるところです。

「株式会社 土佐料理司」は、役員報酬などは公表していません。

あくまで推測の域を出ませんが、資本金3000万円売上高は26億円従業員数で330名を数える会社となれば、税優遇などの面からおのずとある程度平均的な報酬というのが見えてきます。

賞与がないとした場合、この規模の企業の社長の平均的な年収は約3,300万円程度で、おそらくそのレベルであると推測します。

また一般的な飲食店オーナーの場合、年商10億以上では年収2213万円という数字もあります(日経レストラン調べ)。ですので、売上高26億円で3,300万円というのも妥当な印象があります。

ほかの副次的な収入をふくめると、おそらく4000万円レベルと推測します。

また「株式会社土佐料理司」が経営している店舗の「店長の年収」は公表されています。

それによると
店長33歳・経験5年で 年収550万円
店長38歳・経験10年で 年収680万円
次長(店長補佐)32歳で 年収490万円

IT企業などであれば中小規模でも社長の年収が数億円というケースもあるでしょうが、従業員を330人抱えた料理店の経営となると上記の年収が上限、あるいは社長の姿勢からするともう少し抑えめかもしれませんね。

土佐料理 司 竹内太一社長の出身大学・経歴は?

竹内社長の経歴です。

生年月日:1953年8月18日
出身:高知県高知市
出身大学:明治大学

高知市にある小・中・高校を経て、大学進学と同時に「家族で」上京したそうです。明治大学卒業後は、祖父の代からつづく「株式会社加寿翁コーポレーション」に入社。1996年に3代目として社長に就任しました。

また一般社団法人『海の幸を未来に残す会』代表理事も務めます。

「土佐料理」というと「昔から伝統的なもの」というイメージがありますが、実は「土佐料理」という名前自体、竹内社長のお父さんがつけたものだそう。大正6年に創業した当初は割烹を営んでいたのですが、その後を継いだ竹内社長のお父さんは独立して中華料理店をオープン。しかしその後、伝統的な土佐の食材や料理に目をつけ、それを「土佐料理」と名づけて新しいカテゴリーをつくったのです。

ちょうど竹内さんが明治大学に入学するとき、『祢保希』の東京第一号店として赤坂に店をオープン「家族で上京」したのはそのためだったのです。

大学卒業してからは外資系の会社に就職する意志があったそうですが、店舗の人手不足に悩むお母さんから家業を継ぐよう強く依頼され、現在の会社(名称はのちに改称)に入社。1年半でいきなり開店2店舗目の「新宿店」の店長に就任しました。

さまざまな改革を支えながら、46歳で3代目を継承。ちょうど折しもバブル崩壊で会社も多額の借金があったそうですが、すでに20あった店舗を12まで減らし、店舗数が少なくても、美味しい料理をきちんと提供していく店づくりを目指していったといいます。

2017年に創業100周年を迎えた会社。これからは日本の豊かな海を守り、その水産資源を再生することを使命としてやっていきたいと語る社長。まだ人生は道半ばという言葉に、その意欲が見て取れます。

まとめ 竹内太一 地方の郷土料理を伝える使命

土佐にもともとあった伝統の料理を「土佐料理」と名づけるところから始まった竹内さん一家の料理店人生。

つい当たり前に思ってしまいがちな地元の料理を、その特色を吸い上げ、より美味しく仕立て、そして広めていくことで、ほかの日本人が知らない、新しい料理の世界を開くことができる・・・・。

竹内太一さんがしていることは、ある意味「ディスカバージャパン」なのかもしれませんね。日本人でも知らないことがある。そしてそれを知ることで、より日本の豊かさを知り、あるいは竹内さんの行動を通じて「日本の水産事情」は安泰ではないことを知る。

こうした地方の特色を高めていくことが広まれば、いまさかんに言われる「インバウンド」という観点だけではなくて、日本人にとっても新しい価値に出合う、新しい知に出合うということにつながっていくのではないかと思います。

竹内さんの今後のご活躍と、そのいい影響が日本中に伝わることを祈りつつ。

最後までお読みいただきありがとうございました!