かつて日本の首相を務めた中曽根康弘氏が101歳で亡くなりました。
1918年生まれで、太平洋戦争での従軍経験もある貴重な存在。
行政改革いわゆる「行革」の推進役として国鉄や電電公社、専売公社の民営化を実現したり、レーガン大統領との「蜜月」関係など、さまざまな功績と話題を残した首相でもありました。
では海外から見た中曽根元首相とはどんな存在だったのでしょうか。逝去を報じる海外メディアの反応から見ていきましょう。
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中曽根康弘元首相死去 アメリカ(米国)の反応は?
アメリカのABCニュースは、国際関連の大きなトピックで中曽根元首相の死去を伝えると同時に、彼の経歴やその政治的な功績などについて詳細にレポートしています。
Yasuhiro Nakasone, former nationalist Japanese Prime Minister who tried to change his country’s pacifist policies, has died at age 101.
日本の国家主義者で元首相、日本の平和主義を変えようと尽力した中曽根康弘氏が101歳で死去した。
「日本の戦後政治におけるひとつの巨星、そして米国との強い絆において日本の軍事力を高めようとした」と、やはり外国から見る中曽根氏は、日米防衛協力の強化、あるいは日本の平和主義憲法を改正しようとした「国家主義」傾向の強い首相としての一面がまず第一に取り上げられるようですね。
記事では、レーガン元大統領との「ロン=ヤス」政治、あるいは中曽根元首相が1950年代に日本における原発建設の推進役であったことも伝えています。
中曽根康弘元首相死去 中国メディアの反応は?
中国外務省副報道局長は「中国との友好交流や実務協力に大変熱心であり、中日関係の発展に重要な貢献をした」と中曽根元首相を悼みました。https://t.co/HNzQPJWXFK
— 毎日新聞 (@mainichi) November 29, 2019
隣国の中国や韓国とはおおむね友好関係を保った中曽根元首相。
中国外務省の副報道局長は上記の通り
「中国との友好交流や実務協力に大変熱心であり、中日関係の発展に重要な貢献をした」
「中曽根元首相は将来のビジョンを持ったベテラン政治家だった。生前は中国との友好交流や実務協力に大変熱心であり、中日関係の発展に重要な貢献をした。死去に深い哀悼の意を示し、ご家族に心からのお見舞いを申し上げたい」
と、その死去を悼む声を寄せています。
中国との関係では、1985年、中曽根元首相の靖国神社への「公式参拝」が問題になったこともありました。首相としての公式参拝は、戦後では中曽根元首相が初めて。これが中国や韓国の反発を招きました。中曽根さんは首相在任中に10回公式参拝しましたが、親密な関係にあった中国の胡耀邦元総書記の中国共産党内部での立場に配慮して、取りやめたという経緯もあります。
アメリカとの防衛協力、日本の憲法改正に熱意をもっていたことについては、中国共産党系の環球時報は
「中曽根氏は『防衛軍』の憲法明記を主張したが、日本の政治家は歴史を直視しなければいけないと強調した」
と、中曽根氏がそういった意志を持ちながらも、「歴史を直視する姿勢」があったことに着目しています。
中曽根康弘元首相死去 韓国メディアの反応は?
現在編集中です。
中曽根康弘元首相死去 フランスメディアの反応は?
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