日記

速報!万葉集に基づく新元号【令和】決定!その由来は?原文も紹介!

2019年4月1日午前11時40分すぎ、新しい日本の元号「令和」に決定したことが内閣官房長官によって発表されました。現在使用されている「平成」の元号は4月30日まで。5月1日からは年の途中ですが「令和元年」となり、その後の公文書などすべての「元号表記」は「令和」に改められます。

元号が替わることを「改元」といいますが、前回の改元は昭和天皇が崩御した1989年1月7日。現在の天皇陛下、当時の皇太子明仁親王が即日皇位を継承して、その日のうちに元号を改める政令を公布。1月8日に施行されて「平成」になりました。

それから30年と少し。今回は天皇陛下の生前退位という特別な事情があるため前回とは違いますが、新しい元号を発表して1ヶ月後に改元。5月1日、私たちは歴史的な一瞬に立ち会うことになります。

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2019年5月1日から今年は「令和元年」!その名の由来は?

日本の暦、つまり和暦では今年2019年は「平成31年」ですが、これが5月1日からは「令和元年」となります。国際的にはどの国も西暦を使っていますし、日本でも以前に比べると西暦を使うケースが増えていますが、行政文書や「時代」の表現などではまだまだこの「元号」を使うことも多く、日本人にとって重要なものであることに違いはありません。

新しく発表になった「令和」。これはどういう意味で、どんな思い、意義が込められているのでしょうか。内閣官房長官と首相の発表では、万葉集の中の梅花の歌32首の序文にある

「初春の令月にして気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭(らん)は珮(はい)後の香を香らす」

の「令」と「和」から引用されたとのことで、日本の元号の歴史では初めて、中国の古典ではなく、日本の古典が出典元ということになりました。

政府の発表によれば、新元号は今年3月14日に、複数の学者に新元号を考案し、それぞれ2~5つの案を出すよう依頼したとされています。

4月1日の朝、官房長官によって内閣法制局長官の意見を聞いて「5つ」以上の原案に絞り込まれ、9時30分ころ有識者懇談会でこの原案について議論して、10時20分ごろに衆議院・参議院の議長に意見を聞き、さらに全閣僚会議で協議、決定した上で、11時40分に官房長官が発表、という流れをとりました。その決定の過程は極秘事項。関係者にとってはさぞかし緊張した半日だったでしょう。

出典は日本古典の「万葉集」。考案者は公表されません。

新しい元号の「令和」は、日本の古典(古い書物)である「万葉集」の中の首(和歌)に基づいているそうです。

日本で最初に元号が使われたのは、「大化の改新」で知られた「大化」で西暦でいえば「645年」のこと。その後「平成」まで247の元号が使われてきましたが、出典がわかっているものに関していえばすべて「漢籍」つまり中国の古典をもとにしてきたそうです。

ちなみに「平成」は、『史記』という書物の「内平外成」(内平らかに外成る=国内が平和で、他国との関係もよく成立している)、そして『書経』という書物の「地平天成」(地平らぎ、天成り=国土も平静に自然の流れも順調である)という言葉が「出典」とされています。

今回の改元は、中国の古典に詳しい学者のほか、日本の古典に詳しい国文学者にも考案を委託したといわれています。ただ、古事記や日本書紀など日本の古典の多くも元をたどっていくと中国の古典に行き着く、という話もあります。

事前に言われていたことですが、考案者は今回も発表されませんでした。前回の「平成」は、東洋史学者の山本達郎氏(故人)だったとされていますがこれも推測の域をでません。

万葉集の梅花(うめのはな)の歌の序文。その原文は?

「令和」の出典となった万葉集の梅花の歌三十二首の序文、その原文をこちらの「万葉集入門」のサイトから引用させていただきます。

天平二年正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)く。時に、初春(しよしゆん)の月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す。加之(しかのみにあらず)、曙(あけぼの)の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きにがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結び、鳥はうすものに封(こ)めらえて林に迷(まと)ふ。庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。ここに天を蓋(きにがさ)とし、地を座(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(かづき)を飛ばす。言(こと)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(えり)を煙霞の外に開く。淡然(たんぜん)と自(みづか)ら放(ひしきまま)にし、快然と自(みづか)ら足る。若し翰苑(かんゑん)にあらずは、何を以(も)ちてか情(こころ)を述(の)べむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す。古(いにしへ)と今(いま)とそれ何そ異(こと)ならむ。宜(よろ)しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし。

現代語訳

天平二年正月十三日に、大宰師の大伴旅人の邸宅に集まりて、宴会を開く。時に、初春の好き月にして、空気はよく風は爽やかに、梅は鏡の前の美女が装う白粉のように開き、蘭は身を飾った香のように薫っている。のみにあらず、明け方の嶺には雲が移り動き、松は薄絹のような雲を掛けてきぬがさを傾け、山のくぼみには霧がわだかまり、鳥は薄霧に封じ込められて林に迷っている。庭には蝶が舞ひ、空には年を越した雁が帰ろうと飛んでいる。ここに天をきぬがさとし、地を座として、膝を近づけ酒を交わす。人々は言葉を一室の裏に忘れ、胸襟を煙霞の外に開きあっている。淡然と自らの心のままに振る舞い、快くそれぞれがら満ち足りている。これを文筆にするのでなければ、どのようにして心を表現しよう。中国にも多くの落梅の詩がある。いにしへと現在と何の違いがあろう。よろしく園の梅を詠んでいささの短詠を作ろうではないか。

「万葉集入門」より引用

書き手は不明ですが、山上憶良(やまのうえのおくら)ではないかと言われているそうです。山上憶良といえば、

「憶良らは 今は罷(まか)らむ 子泣くらむ それその母も 吾(わ)を待つらむそ」

(「わたくし憶良はそろそろおいとまいたしましょう。子が泣いているでしょうし、いやその母(妻)も私を待っているでしょうから)

という同じ万葉集の歌でも知られた人ですね。深読みですが「時短」の時代にふさわしいのかもしれません。山上憶良は役人だった人ですが、家族愛を読んだ歌や、当時の農民の生活や防人と呼ばれた兵士たちに優しい目を向けた庶民派、社会派という面があるそうです。

日本だけで使用される元号。気になる海外の反応は?


天皇陛下の在位と関係した元号
は、当然ですが日本の国内でだけ使用されるものです。外国でも「イスラム暦」など、ある特別な日や年を起源とする西暦とは別の暦を使うところはありますが、王や皇位の代替わりのたびに変更になる暦を持つのは日本だけです。

こうした「特別」なことに、外国でも注目している人、メディアの報道などもあり、一部では今回の改元も話題にのぼっています。

まだ速報の段階ですが、英国BBCやガーディアン紙などでは情報を発信しています。

またフランスの総合紙「Le Point(ル・ポワン)」でも、「令和」の「令」には「よい」と「命令」の2つの意味、「和」には「調和」「平和」の意味があることを示しつつ、新しい元号が発表されたことを報じています。

同じくフランスのラジオ局「RFI」は、新元号が替わることで行政文書を中心に年号の呼び方が替わるためバグが起きる可能性がある、新聞などでは西暦とダブル表記になっている、日本人の中で元号があると過去の出来事を思い出しやすいという声もある、などちょっと踏み込んだ解説もしています。