日記

究極の愛とミニマリスムを表現した彫刻家の人生そのものを感じるアトリエ

パリの真ん中の劇場を中心に繰り広げられ、そのエスプリとそこでの人生の美しさをぎゅっとつめこんだ2006年の映画『モンテーニュ通りのカフェ』をご存じでしょうか。

 

その登場人物のひとりに、あるアートコレクターがいるのですが、彼が収集した美術品をすべて手放すことに決め、そのためのオークションを開催するシーンがあります。ネタバレになるので事の詳細は省きますが、その中に20世紀前半の彫刻家、ブランクーシの代表作『接吻』が出てきます。ぴったりと抱き合い、キスをする男女がひとつの石で表現された、究極の愛にあふれた作品です。

 

あのポンピドゥーセンターの隣にある隠れ家

 

ブランクーシは、日本では一般にはあまり知られていないかもしれない彫刻家かもしれませんが、ルーマニアに生まれながらパリに移りこの街を愛し、作品を造り続けたことでフランス人にはとてもなじみのある作家。フランス語読みで「ブランクージ」と人は呼びます。彼のアトリエが、実はパリでも有名なスポットのひとつ、ポンピドゥーセンターの横に、忠実に移築、再現されているのです。


photo by Takeshi

パリではよく知られていますが、ガイドブックなどにはあまり出てこない穴場スポット。アートの好きな人ならポンピドゥーセンターの見学のあとにぜひ立ち寄ってほしいスポットです。しかも入場は無料です。

 

つきつめると彫刻はこうなる。当時は斬新なミニマリスムの世界へ

 

彼は、ルーマニアから28歳でパリに移ってくると、ロダンの弟子として彫刻家の道を究めていきましたが、当時流行となったアフリカ美術の影響も受けて、師匠とはまったく別の表現へとスタイルを変えていきます。「大事なのは表面をなぞることではなく、本質を描くこと」と彼自身語ったそうですが、世の中の形を徹底的につきつめて「純粋化」していき、物の本質をとらえる独自の表現を手に入れます。


photo by Takeshi

彼は自分の彫刻と空間との関係にも興味を抱き、パリの15区にあったアトリエは、その考えを実践する場所になっていったといいます。晩年は作品を創ることとあわせ、アトリエを整えることにも専念。彼にとってはきっと、彼の手の一部になって一緒に仕事をした数々の道具もアトリエの一部であり、作品の一部だったのかもしれません。


photo by Takeshi

亡くなる前の年に、彼はフランス政府にこのアトリエと仕上がった作品、粗彫りの作品、工具など、すべてを遺贈することを提案。政府はパレ・ド・トーキョーという、いま現代アートの殿堂になっている施設に保管したあと、1977年にポンピドゥーセンターが建設された時に、建築家のレンゾ・ピアノが設計したアトリエ・ブランクーシというこの施設が創られ、そこに移設されたのです。


photo by Takeshi

中に入って見てみるとわかりますが、彼の作品は美術館のケースに入れられるより、このアトリエにいるほうが生き生きとして見えます。彼のもうひとつの代表作として知られ、イサム・ノグチモジリアーニなど後世の芸術家に大きな影響を与えたシリーズ『無限柱』も、この天井の高いアトリエでなければ生まれなかったでしょう。


photo by Takeshi

ブランクーシが残したかったのは、きっと一つ一つの作品だけではなく、自分が愛し、自分の作品を生みだしたこの空間そのものだったのかもしれません。芸術家という仕事そのものを実感できる貴重なパリのスポット、それがこのアトリエ・ブランクーシなのです。


<Information>

Atelier Brancusi アトリエ・ブランクーシ

Place Georges Pompidou, 75004 Paris
公式ウェブサイト(ポンピドゥーセンター)
https://www.centrepompidou.fr/fr/Collections/L-atelier-Brancusi