話題・ニュース

24時間テレビ歴代マラソンランナー走者一覧・完走したかも確認!

24時間テレビといえば、1992年にはじまった番組内のチャリティーマラソンコーナーがあまりに有名です。

この長い24時間テレビのマラソンの歴史。実にいろいろなランナーがさまざまな思いでこの難関にのぞみ、いくつもの物語を残してきました。

誰が走ったかなぁ?という方も多いと思いますので、『24時間テレビ歴代マラソンランナー走者一覧・完走したかも確認!』と題し、ここで改めて24時間テレビの歴代のランナーをふりかえり、さらに完走したかどうかについてもご紹介したいと思います!

Contents

24時間テレビ歴代のマラソンランナー一覧・完走は?

まずは、1992年の初回から順に歴代のランナーたちをご紹介しましょう!

1992年のランナー 間寛平さん

第15回「24時間テレビ」のコーナーとして初めて採用された「チャリティーマラソン」。最初は当時人気者だった間寛平さん。新潟~東京間の約200kmに挑戦しますが、約153kmで無念のリタイアとなります。

しかしこれは事前にルートがばれてしまい、コース上に人があふれてしまったのが原因でもありました。

1993年のランナー 間寛平さん

2年連続のランナーとして、リベンジをかけて走ったのが間寛平さん。同じく200kmを見事完走します。

1994年のランナー ダチョウ倶楽部

間寛平を引き継いだのは3人組の「ダチョウ倶楽部」。100kmを3人の交代制で走るという試み。25時間20分をかけてフィナーレには間に合っています。

1995年のランナー 間寛平さん

1995年はふたたび間寛平さん。この年の1月に阪神・淡路大震災が発生し、被災地となった神戸から東京まで約600kmを7日間かけて完走するという快挙を成し遂げました。

1996年のランナー 赤井英和さん(最終走者)

日本列島3600kmを縦断する形式で、一般から応募したランナーがあらかじめ北海道・九州から同時にスタート。俳優の赤井英和さんが最終ランナーとして100kmを走りきり時間外でしたが完走しました。

1997年のランナー 山口達也さん

100kmのコースをTOKIOの山口達也さんが完走。まだ当時は25歳でした。

1998年のランナー 森田剛さん

前年に引き続き、ジャニーズからV6の森田剛さんが100kmに挑戦。完走しています。

1999年のランナー にしきのあきらさん

1900年代最後の24時間テレビチャリティーマラソンは、にしきのあきら(現・錦野旦)さん。50歳のチャレンジでしたが見事に110kmを完走しています。

2000年のランナー トミーズ雅さん

元プロボクサーでもあったトミーズの雅さんが150kmに挑戦。奥さんと娘さんが迎えるなか無事ゴールして、娘さん2人を両腕でかかえて、そのさすがの体力が話題になりました。

2001年のランナー 研ナオコさん

21世紀になって最初の24時間テレビチャリティマラソンは、女性の時代にふさわしい、初の女性ランナー。しかし当時48歳でしかも体力があるよには見えなかった研さんの挑戦で心配されましたが、時間を稼ぐためにいくつか休憩所もとばす勢いで、85kmを見事完走しています。

2002年のランナー 西村知美さん

2001年の研ナオコさんに続いて、女性のランナーとなった2002年。ホノルルマラソンにも挑戦したことがあり、最後は旦那さんといっしょにゴール。100kmを完走しています。

2003年のランナー 山田花子さん

女性ランナーが続きますね。この年は、山田花子さん。ゴールしたらTOKIOの松岡昌宏さんに抱きしめてもらう、という約束?をしていましたが、残念ながらゴール前に番組は終了。時間外での完走となりました。でも松岡さんには抱きしめてもらえたようです。

2004年のランナー 杉田かおるさん

さらに2004年も女性。男性に戻すきっかけがつかめていなかったのかもしれません。杉田さんは100kmを見事に完走して、涙のゴールとなりました。

2005年のランナー 丸山和也さん

2005年は久々の男性ランナーとなりました。日本テレビ「行列のできる法律相談所」で有名になった弁護士・丸山和也さん。また59歳での挑戦は当時では最高齢でした。最後の700mを長女と走って話題に。無事100kmを完走しています。

このあと2007年に参議院議員に初当選しています。

2006年のランナー アンガールズ田中さん・山根さん

2006年はダチョウ倶楽部以来の複数ランナーということで、アンガールズの二人がチャレンジ。途中、沿道で応援するおばあさんがランナーに触れて、スタッフの注意に怒鳴り返すという珍事が起きましたが、二人は100kmを完走しています。

2007年のランナー 萩本欽一さん

この年も話題になりました。というのも、萩本欽一さんは当時すでに66歳。2年前の丸山弁護士の最高齢記録をあっさり破っての挑戦になりましたが、準備が必要ということで、前年からランナーを発表して、トレーニングすることになりました。

900mを残して番組終了ということで、時間内ではゴールできませんでしたが、70kmを完走しています。

2008年のランナー エド・はるみさん

エド・はるみさんは、このチャリティーマラソンに起用されることを夢みて、その6年前から毎日10kmのランニングを続けていたといいます。念願かなって2008年のランナーに起用。女性ランナーで最長記録になる113kmを完走しました。

2009年のランナー イモトアヤコさん

2009年には「野獣ハンター」などを通じて人気のあった「イモト」ことイモトアヤコさんが登場。フルマラソンの3倍になる126.585kmを設定されて、女性最年少(当時23歳)で挑戦しました。

見事に完走はしたものの時間には間に合いませんでした。

2010年のランナー はるな愛さん

ニューハーフとして初めてチャリティマラソンに挑戦した、はるな愛さん。距離ごまかし疑惑のデマが流れますが、約85kmの距離を完走します。

2011年のランナー 徳光和夫さん

徳光和夫さんといえば、24時間テレビで総合司会を務めた「番組の顔」でもあった人。70歳、第34回を迎えた24時間テレビのマラソンランナーに初めて選ばれました。最高齢の快挙を、63.2kmの完走でものにしています。

2012年のランナー 佐々木健介さん・北斗晶さん一家

番組始まって以来はじめて、家族総出で挑戦ということになった北斗晶さん一家。息子2人も加わって、4人で120kmを走りました。

最初は4人で走り始め、そのあと佐々木健介さん、健之介くん、誠之介くんとリレーし、最後は北斗晶さんが47kmを走ってゴールしました。

2013年のランナー 森三中 大島美幸さん

その年の5月にオファーを受けたとき、体重=距離にするということでなんと88kmになってしまった走行距離。ダイエットとトレーニングで16.7kgも体重を落としての挑戦で、見事88kmを完走。残念ながら番組終了後の「時間外ゴール」となりました。

2014年のランナー 城島茂さん

24時間テレビのジャニーズ化が進む中、1998年のV6森田さん以来のTOKIO城島さんの登場。ジャニーズはさすが基礎体力があるのか、101kmの距離を無事に番組内で完走しています。

2015年のランナー DAIGOさん

この頃になると24時間テレビのチャリティーマラソンもマンネリ化しはじめ、ワープ疑惑(途中でコースをワープ)なるものも出始めたりしていましたが、そんな懸念も吹き飛ばしたのがDAIGOさんでした。

結果は101kmを時間内で見事に完走しました。

2016年のランナー 林家たい平

落語家の林家たい平さんといえば、日本テレビの「笑点」でお馴染み。たい平さんの本名は「椎名巌(いわお)」。その名前にちなんで、「イワオゴー」の110.5kmになったとか。

見事にその距離を完走しています。

2017年のランナー ブルゾンちえみさん

走者当日発表!というイレギュラーな回になった2017年。当日発表されたランナーはブルゾンちえみさんでした。「90km」を走るということでしたが、最終的には91.45kmだったことが、「24時間マラソン追跡団」によって明らかになっています。

20:54に見事完走してゴールしました。

2018年のランナー みやぞんさん

2018年は「イッテQ」でさまざまな体当たり企画に挑戦しているANZEN漫才の「みやぞん」さん。普通の企画ではあきたらなかったのか、史上初の「水泳・自転車・マラソン」のトライアスロン3種目となりました

番組開始前からスタートし、マラソンの走行距離だけで100km、合わせて161.55kmを完遂しました。

 

この投稿をInstagramで見る

 

24時間テレビ始まったよ🙌✨ やるそーやるぞーやるぞー💪💖

みやぞん[ANZEN漫才]さん(@anzenmiyazon)がシェアした投稿 –

2019年データ追記しました。

ここまで24時間テレビ恒例のチャリティマラソンの歴代ランナーたちを『24時間TVマラソンランナー走者一覧・完走したかもチェック!』と題してお届けしてきました。

こうしてみると時間外のゴールは、96年の赤井英和さん、03年の山田花子さん、07年の萩本欽一さん、09年のイモトアヤコさん、13年の大島美幸さんの5人ありましたが、完走できなかった(リタイアした)のは、最初の年の間寛平さんだけだったんですね。

そのほか、ワープ疑惑などいろいろウワサは絶えませんがそれはさておき、皆さんほんとうに大した体力だとつくづく感じます。厳しい芸能界ならではの「根性」が大切といえるかもしれません。

2019年ランナーは何と4人!

2019年はタスキを繋くリレー式(駅伝形式)で行われました。

1人目 : 近藤春菜さん   走行距離 32.195km

2人目 : ガンバレルーヤのよしこさん 32.195km

3人目 : 水卜麻美さん   走行距離 42.195km

4人目 : いとうあさこさん 走行距離 42.195km

合計148.78km!

本当にお疲れ様でした。

そして今年2020年ですが・・・放送日は8月22日 23日の土日と決定しましたが、マラソンは中止になりそうです。

コロナのこともあり仕方ないですが、Withコロナとして何か別の形で実施されるかもしれません

新情報がありましたら更新していきます。

コロナに負けない新時代を築いていかねばならないので是非色々と検討していただきたいです!

8月18日情報更新しました。

2020年 マラソン企画は!

2020年は募金ラン!チームQと共にQちゃんが走ります!

金メダリストのQちゃんこと『高橋尚子』さんが、”募金ラン”という新しい試みで走ることが決定しました!!

募金ランとは、コロナリスクを加味して、3密を回避し安全確保された私有地を走ります。

走者は、「チームQ」として集められた5人です。

走り方と募金ランの仕組みは、高橋尚子さんが一人で走ったり、並走したりして、5 km走る毎に、走者自ら10万円の募金をするというものです。

これは高橋尚子さんの持ち込み企画とのこと。

ネット上では賛否両論で、自ら走って自ら寄付ってどうなの?とか、走らずに最初からどんっと寄付すればという様な意見もあります。

私個人としては、どういう形であれ寄付につながることですし、簡単にお金だけ寄付すればいいというものはどうかな?とおもいます。

こうやって懸命に何かをやる、努力する姿をみてもらい、そこに何かを感じ取ってもらうというのもありではないか?と思ってます。

高橋尚子さん!そしてチームQの皆さん!本当にお疲れ様でした!!

まずは皆さんが、体の痛みや苦しさに耐えながら懸命に走った距離です。

チームQ

 

・土屋太鳳さん  走行距離 30km

・吉田沙保里さん 走行距離 25km

・陣内貴美子さん 走行距離 10km

・松本薫さん   走行距離 15km

・野口みずきさん 走行距離 40km

そして、

高橋尚子さん なんと走行距離 116km!

合計 236km!!

合計470万円の募金額となりました。

高橋尚子さんは、目標を100kmとしていましたが、PM6時30分の時点で突破!
まだ時間がある!と、左足に痛みがあるのにさらに走り続けました。

笑顔でスタートして、笑顔でゴール!した、Qちゃん、そしてチームQの皆さんをみて勇気づけられた方々も多かったと思います。

本当にありがとうございました!!

それでは最後に、チームQの中で、今回の募金ランについてコメントを書いていたお二人のインスタを紹介させていただきます。

TTこと 土屋太鳳さん
※コメント長いですが『思い!』が伝わりますのでそのまま掲載させていただきます。

 

この投稿をInstagramで見る

 

いつも応援してくださったり 見守ってくださったり 心配してくださってるかた 今、興味を感じて 心を寄せてくださってるかた 本当にありがとうございます。 . このメッセージは走る前に作って 走り始めたらブログとインスタに届けてくれるよう スタッフさんに預けました。 . 応援してくださってるかたの中には 心配のほうが心を占めているかたも 多いのではないかと思います。 プライベートでも、もしかしたら、 どうして相談しなかったの? なぜ走るの?とおっしゃるかたが いるかもしれないなって思います。 . 私も最初はとても迷いました。 参加を決めるまでに 私が思ったことはすごく多くて それは既に24時間テレビのスタッフさんがたに 丁寧にインタビューしていただいて 1時間くらいお話をしたけれど オンエアの時間に限りもあるし 私は話すのが本当に本当に下手なので… . だから ここでも 紹介してくださることと合わせて その他の気持ちも補足できたらと思ってますが まずスタートの今、 ここでお伝えしたいのは… . 今年は厳しい状況がずっと続いていて 「目指してきた夢の場所」を諦めた学生さんも 多いと思います。 ほとんどの大切な大会が中止となって 絶望するくらいの悲しみを感じた人も いるかもしれないなと思う。 クラブ活動も部活も 限られた時間の中だからこそ、 先輩も後輩もご家族も先生方も真剣だと思うので。 でも、 どんな形でも何かを続けてたら… もっと思いきって書くと 生き続けることが出来ていたら 形は違っても、 夢を叶えることが出来るかもしれない。 . なぜなら、 高橋尚子さんは私にとって 子どもの頃からの憧れのかたで、 今も太陽のような存在のかたです。 Qちゃんのように走りたい!と思ってきましたし、 引退なさるまで全力を尽くした姿も  本当に素晴らしいと思います! . 私は小中と陸上をやっていたんですけど、 「自分は運動神経は多少あるかもだけれど アスリートのものではないな」と感じて、 高校でやめました。 そういう人って 多いと思うんですよ。 「全力で頑張るからこそ感じてしまう限界」で、 「最初の夢」を諦める人は多いと思います。 . だからこそ、 私が高橋尚子さんたちと一緒に走ることは、 形は違っても 「夢を叶えた姿のひとつ」に なるかもしれないと思うんです。 今、もし、目指した場所と一緒に 夢が消えたように感じてる人がいるとしたら、 この事実を観ていただいて、少しでも 新しい夢のヒントを感じて欲しいと思いました。 . 募金ランのための、たくさんの対策、準備、 確かに大変です。 「今、する必要があるのか」という意見、 あると思います。 でも「今だから出来ること」があるのも 「今しか出来ないこと」があるのも 事実だと思います。 . 応援してくださってる方々の中には 女優としての演技をして欲しい、 その方向性でがんばって欲しいと 願って下さってる人も多いんだなと コメントやお手紙を通して感じていて、 それは本当に本当に本当にありがたいです。 「今よりも」とか「誰かのように」ではなく 女優という職業である以上、 演じるお仕事は大切な目標なので。 . そのことに関しても また思っていることを書けたらいいなと思うのですが そろそろ時間がなくなってきました。 いってきます!!!!!!!! どうか見守ってください。 そして、心配しないでね。 充実した週末を、一緒に過ごせたら嬉しいです🙏✨✨ . 写真は控え室の前で。 名前がTTに…💡

土屋太鳳(@taotsuchiya_official)がシェアした投稿 –

吉田沙保里さん

何より、無事に皆さんが走れたことが嬉しく、また元気も与えてもらえました!

長期戦になりそうなコロナと戦っていくには、やはり全員で『人類チーム』として戦っていかねば!とも強く思いました。

皆さん!下を見ず上をみて全員で乗り越えていきましょう!

来年こそは、コロナのない世界で、そして新しい感動の物語を期待しつつ2020年情報を締めくくらせていただきます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

2021年以降の記事はこちらへ