日記

100年前からそこにある彫刻家のアトリエを、パリの真ん中で見る

 

先日ご紹介したポンピドゥーセンターのとなりにある「アトリエ・ブランクーシ」。そのちょっと後の世代で、やはりパリに来た外国人の彫刻家に、オサップ・ザッキンという人がいました。今回は、そのザッキンのアトリエを受け継いだ「ザッキン美術館」をご案内します。

 

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宮殿の庭を今に引き継ぐリュクサンブール庭園

 

ザッキン美術館に行く前に、その近くに大きく構える庭園を歩いて行きましょう。パリ中心部にある庭園といえば、セーヌ川のほとりにある「チュイルリー庭園」と、もうひとつは5区と6区にまたがるパリ左岸の庭「リュクサンブール庭園」が有名です。


photo by Takeshi

リュクサンブール庭園のほうは、ルーブル美術館のとなりという超中心部のチュイルリー庭園に比べると、まわりに大学や住宅街が多く、日常生活の一部というイメージが強くなります。昼間はここでサンドイッチを買ってきてランチを楽しむ学生や近隣オフィスの人々。ポニーに乗ったり、水辺で走り回る子供たち、屋外チェスに興じる人たち、真っ赤な顔をしながら走って行く市民ランナー・・・そこには都市の日常があります。

ちょうどこの庭園の北側はカルチェ・ラタンでありサンジェルマン・デ・プレ、すなわち学生街と芸術街、オフィス街、そして庭園の南側はモンパルナス。下町の雰囲気が増して、庶民の住む住宅街になる。ちょうどこの庭園がその境界線のようなところ。昔はパリの街の端っこにあたるところで、19世紀後半から20世紀にかけて、パリのアーティストたちが安い家賃を求めて住み着いたところでした。

 

モンパルナスに住んだ芸術家アトリエの記憶

 

モンパルナスへ集まってきたのは、ピカソ、モディリアーニ、藤田嗣治など、エコール・ド・パリの芸術家と呼ばれたアーティストたち。時は20世紀が始まった頃。ザッキンは1909年に当時ロシアだった現在のベラルーシからパリにやってきました。最初は、シャガールやモディリアーニなどのちの巨匠が一緒にいたことで知られるパリ14区のアーティストインレジデンス「ラ・リューシュ」に入ります。その後、1920年に奥さんとなる画家のヴァランティーヌ・プラックスと知り合い、藤田嗣治を証人として結婚。1928年、今ザッキン美術館のあるアトリエ兼自宅に移ってきました。


photo by Takeshi

それまでは集合住宅に住んでいたザッキンでしたが、ここでパリにありながら庭付きの一戸建て、しかもアトリエ付きの住まいを手に入れ、とても気に入っていたといいます。

 

普遍なシンプルを追求する難しさ

 

アフリカのプリミティブアート、当時ピカソブラックが主導していたキュビズムのスタイルの影響も受けて、さまざまな様式の作品をザッキンは残しました。

かつては彼が暮らしていた美術館の展示室は、こじんまりとしていながらもどこか親密な空気に包まれています。そこにあるのは、楡(にれ)、黒檀(こくたん)などの木材、あるいは花崗岩、大理石など石材で創りあげた彫刻たち。

無駄を削ぎ落とした極めてシンプルな彫りのラインを使って表現した人間の姿。それは、まるで京都・太秦の広隆寺にある有名な弥勒菩薩半跏像ガンダーラ美術を見るような、アルカイックスマイルを彷彿させる造形です。どこか根源的な喜びや悲しみを感じるような、硬い素材なのに柔らかささえ感じるような姿が印象的です。

そしてずっと佇んでいたくなるような静かな庭。そこにもザッキンの作品が置いてあります。ぜひ街の喧噪をしばし忘れて、ゆったりとした時間を過ごしたい、パリど真ん中の穴場美術館です。


 

<Information>

Musée Zadkine ザッキン美術館

100bis Rue d’Assas, 75006 Paris
メトロ4号線Vavin駅から徒歩
公式ウェブサイト